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Dessauer Marsch (デッサウ行進曲)
レオポルト1世(デッサウ老公)1676−1747 「デッサウ老公」とはアンハルト・デッサウ公レオポルト1世のことで、今もアンハルト・デッサウで最も人気のある王子、そしてプロイセンの優秀な将軍の一人でした。 彼は1693年に17歳でプロイセン陸軍の大佐となるも、同じ年に父親であるヨハン・ゲオルグ2世が亡くなり、デッサウ領内の内政は彼の母親が担う一方、彼は王子としてプロイセンの様々な軍事作戦へ参加しました。 彼の初陣は、大同盟戦争(ファルツ継承戦争)の最中にオランダで勃発したナミュール包囲戦(1695年)で、1697年に戦争が終結した後もしばらく戦場に留まりました。 1698年には母親の反対を押し切ってデッサウの薬剤師の娘であるアンナ・ルイーゼ・フェーゼと結婚し、レオポルト1世の母親の死後は、レオポルト1世が戦場で不在のときは彼女が摂政として内政にあたったり、時にはレオポルト1世と共に戦場へ行くこともありました。 彼には私生子が二人おり、後に第一次世界大戦で活躍するエースパイロットであるマンフレート・フォン・リヒトホーフェンの曽祖父は、その一人でした。 彼が大きなな武功を立てるようになったのは、1703年からはじまったスペイン継承戦争からで、プロイセン軍に鉄製のさく杖(前装式小銃の弾込めや清掃に使うロッド)を導入するなどの改革も行いました。1703年にカイザースヴェルスやヴェンロー包囲戦といった戦いで活躍し、翌年に中将に昇進します。その後も各地で戦功を挙げ、1712年にはプロイセン軍元帥にまで昇格し、フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世の治世のもと、プロイセンの内政に関わる重要人物の一人となりました。1715年にはロシアとスウェーデンの戦いである大北方戦争に参戦し、フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世の副官として、スウェーデン軍に対する攻撃を指揮し、勝利を収めます。 その後のしばらくの平穏な期間は執筆や軍の訓練にあたりました。彼は厳格な訓練教官として知られ、プロイセン軍歩兵部隊をヨーロッパ随一の戦闘部隊へと発展させていき、年と共に増した厳格さと功績を称えて、「デッサウ老公」と呼ばれるようになります。 フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世の死後、その息子であるフリードリッヒ2世の元でも軍務に就きました。フリードリッヒ2世は以前に厳しい軍隊教育を行う父王からの逃亡を企てたことがあり、そのため幽閉されたり、一時は暗殺の危機さえ危ぶまれていましたが、レオポルト1世の尽力もあってプロイセン軍指揮官たる国王としての権威と地位を再び獲得することができました。 1740年にはオーストリア継承戦争がはじまり、まず第一次シュレジェン戦争で、彼の鍛えたプロイセン歩兵部隊は各領主の寄せ集めにすぎなかったオーストリア歩兵を撃破することに成功します。(特に彼が導入した鉄製さく杖によってプロイセン歩兵の連射速度はオーストリア軍のそれを凌ぎ、勝利に貢献しています。)しかし彼は本質的には歩兵の軍人であったため、モルヴィッツの戦いではオーストリア騎兵部隊の襲撃を受けることもあり、(本人はこの騎兵の襲撃にあまり関心をもっていなかった)他の兵科には疎い面もあったようです。 1745年になるとシュレジェン奪回を目指すオーストリアは、ザクセン公国と手を組んでプロイセンに反撃を画策し、第二次シェレジェン戦争がはじまります。この頃には彼はすでに70歳を越えており、この年の初めに妻に先立たれていましたが、ザクセン軍の動向を監視する任務を続けました。しかし、諜報によってオーストリア軍がザクセン経由でベルリン進撃を画策していることが判明すると、レオポルト1世率いるプロイセン軍は12月14日にケッセルスドルフでザクセン軍3万を撃破し大勝します。この勝利によってフリードリッヒ2世は軍を率いてドレスデンに進出し、シュレジェンの領有をオーストリアに約束させることとなりました。 この勝利を契機に彼は現役を退き、デッサウへ戻って残りの人生を過ごした後、1747年に亡くなりました。 (英Wikiより) デッサウ行進曲 歌詞については、優秀な軍人であると共に訓練によって兵士と過ごす時間の多かった彼がその軍隊生活を詠んだものが行進曲に添えられたもののようです。 「Dessauer Marsch」(デッサウ行進曲)、「Der Alte Dessauer」(デッサウ老公)など呼ばれ方はいろいろありますが、同時にそれらと同名の曲もあるので注意が必要です。 訳 "Kneipkompanie"がちょっと分かりませんでした。 "Kneip"と"kompanie"に分けられるとすると、クナイプ中隊という中隊でもあるのかと思ったりしたのですが、小さな飲み屋などを意味する"Kneipe"という単語があり、"Saufkompanie"とする歌詞もあるようで酒に関する言葉なのかな・・・? この項目に入れるか迷いましたが、映画の影響もあるし、曲自体も兵隊歌なので兵隊ソングに分類しました。 「眼下の敵(The Enemy below)」における歌唱 1957年のアメリカ映画「眼下の敵」では、クルト・ユンゲルス扮するUボート艦長が、アメリカ駆逐艦の爆雷攻撃に晒される中、それに必死にこらえる乗員たちを宥め、士気を鼓舞するためにこの曲のレコードを流します。しかし、映画の中での歌は「ローレライがどうこう」という歌詞があるように替え歌のようで、原曲とは違っているようです。 「映画予告編」(歌唱シーンはありません) 「劇中の歌唱シーン」 |