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Das U-Bootlied (Uボートの歌/U-47の歌)
歌について "B.R.T."とは"Bruttoregistertonnen"の略で 英語では"Gross Register Tonnage"(G.R.T.)と言います。 これは船舶名簿などにある登録総トン数のことです。 他の潜水艦関連の歌が、イギリス征伐を歌ったプロパガンダ的要素がある外からの視点なのに比べて、 この歌は比較的乗員側の視点に立った歌のような気がします。 U-47の歌? "Das U-boote Lied"とありますが、"U47 Lied"と呼ばれることもあるようです。 もし本当ならばU-47の活躍に合わせて作られたか、 もしくはU-47の戦果と共に有名になったのだろうと思いますが、 どちらが先かはよく分かりません。 ちなみにこの音源、一般にある"Das U-boot Lied"とは微妙に最後の歌詞が違うので、 その辺り関係あるかも。 "U-Boote vor"の後に何て言ってるか分からないけど…。 一応、このような動画もあります。 U-47 開戦から約1ヵ月後の1939年10月14日、ギュンター・プリーン艦長指揮する U-47はイギリス本国艦隊の本拠地があるスカパ・フロー泊地に危険を冒して単独で侵入、 停泊中だったイギリス戦艦ロイヤルオークを魚雷で撃沈し、見事生還します。 宿敵イギリス海軍の本拠地に侵入し、しかも戦艦を撃沈して帰還したニュースは ドイツ国内でプロパガンダにも盛大に利用され、 プリーン艦長以下U-47乗員は国民から熱狂的な歓迎を受けました。 U-47はトレードマークである雄牛のエンブレムから、「スカパ・フローの雄牛」と呼ばれ、 そのエンブレムは所属していた潜水艦隊の公式エンブレムにもなっています。 またそれ以降も多数の連合軍輸送船を次々と撃沈し、 プリーンは柏葉付騎士鉄十字勲章を授与されました。 しかしU-47は1940月3日に消息を絶ち、駆逐艦に撃沈された、 機雷に触れたなど様々な説があるものの、 今だその喪失理由は判明していません。 海軍司令部は彼の戦死が国民に与える影響を考慮し 5月までその戦死を発表しませんでした。 U-47はわずか240日弱の出撃期間で、撃沈総トン数は193,808トン、30隻というものでした。 スカパ・フローでロイヤルオーク撃沈後、 国内で歓迎を受けるU-47乗員の様子を報じたニュースです。(やや音量大きいです) |