装甲艦ドイチュラント


Panzerschiff Deutschland
(装甲艦ドイチュラント)

E.Schumann






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ドイチュラント級装甲艦

第一次世界大戦で敗北したドイツは、連合国からヴェルサイユ条約を突きつけられたことで、 その軍備を大幅に縮小・制限されました。 中でもドイツ海軍は、保有する戦力が旧式艦と小型艦艇のみという形となり、 他の列強はもちろん、フランスやポーランドなどの隣国に対抗できる水上戦力を早急に揃える事が最優先課題となりました。

 当時ヴェルサイユ条約では、ドイツは水上艦艇の建造に関して、排水量1万トン以下、主砲は28センチ以下に制限されており、 この枠内で主力艦を建造しなければなりませんでした。 そこでドイツ海軍は、重巡洋艦並の船体に戦艦並の攻撃力を搭載した「装甲艦」という艦種を生み出します。 これは他国では「ポケット戦艦」と呼ばれ、1933年から36年にかけて3隻が建造されました。 その一番艦にはドイツの名を冠して「ドイチュラント」と名付けられ、 ドイツの海の抑止力として、軍や国民から大いに期待されました。

 やがてドイツはヴェルサイユ条約を破棄、より強力な艦艇の建造を進め、戦争に突入します。 それに伴いドイッチュラントは沈没時の国民に与える影響を考慮して、 1940年に「リュッツオウ」と艦名を変更することとなり、 艦種も装甲艦から重巡洋艦に変更することとなります。 大戦中は損傷と修復を繰り返し、華々しい戦果を挙げることはありませんでしたが、 大戦も後半になりドイツが守勢に回るようになると、リュッツオウは東部戦線へ向かい、 陸軍の退却を援護すべく対地砲撃に従事しました。
 やがて戦いがドイツ国内に移るようになると、海軍は大規模な作戦を展開できる燃料も無く、リュッツオウも他の艦艇と同様に港に停泊せざるをえない状況になりました。そしてその後、追い討ちをかけるように英軍の5t爆弾による爆撃が行われ、これによって大破・航行不能となってしまいます。 それでもリュッツオウは射撃可能な主砲や副砲、対空砲の狙いを東に定め、 海上砲台としてドイツ本土に攻め込むソ連軍に対し猛烈な艦砲射撃を行いました。
 しかし1945年5月4日にリュッツオウは再び爆撃を受け、 幾度の戦火を潜り抜けた本艦もついに力尽き、またソ連軍接近に伴い、乗員の手によって、 第三帝国の終焉を象徴するかのように沈んでいきました。


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2006/10/05