Deutschlandlied
―Deutschland, Deutschland über alles―
(世界に冠たるドイツ)
Text: Heinrich Hoffmann von Fallersleben (1819-1849)
Melodie: Joseph Haydn (1815-1873)
ドイツ国歌
Deutschlandlied(ドイツ国歌)は、Das Lied der Deutschen(ドイツ人の歌)とも呼ばれ、
「世界に冠たるドイツ」というフレーズでも有名です。
メロディーは、もともとフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn)が作曲した
「神よ皇帝フランツを守り給え」(独:Gott erhalte Franz den Kaiser)が元となっています。
この曲はフランス革命の嵐吹き荒れるヨーロッパで、自国でも愛国心の高揚が必要と実感したハイドンが、
皇帝賛美詩に曲を付ける形で、1797年に神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世に献呈したものです。
1806年に神聖ローマ帝国が解体されると、オーストリア帝国の国歌として使用されました。
一方ドイツでは、まだドイツ統一がなされる前のことで、統一されたドイツの国歌は存在しませんでした。
そこでハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン (Heinrich Hoffmann von Fallersleben)が、
1841年にドイツの統一を願って先述のメロディーに詩を付けて、"Deutschlandlied"を発表しました。
ドイツ統一後のドイツ帝国では、「ラインの守り」(Die Wacht am Rhein)が事実上の国歌とされましたが、
第一次大戦後のワイマール共和国では"Deutschlandlied"が国歌となり、第三帝国でも国歌とされていました。
第二次大戦が終わると、東西に分断されたドイツでは西ドイツがこの国歌を引き継ぎ、
東ドイツでは独自に国歌を制定することになり、国歌もまた分断の時を迎えます。
一方で戦後になって、この歌の一番にある「世界に冠たるドイツ」は、
「ナチスドイツの覇権主義を正当化している」といった批判も現れるようになりました。
これは「ドイツが統一すれば世界に冠たる国になるだろう」という
ファラースレーベンのドイツ統一に込めた願いで、覇権主義とはおよそ関係ないものでしたが、
一番にある地名は、ドイツ統一時はドイツ領であったものの、第一次大戦の敗北以降から
すでにドイツ領ではなくなっているケースが殆どで、一番はあまり歌われなくなりました。
また二番も「女と酒しか自慢する物が無いのか」とか「男女差別である」といった批判にさらされ、
1952年に西ドイツがオリンピックに備えて国歌を制定する際には、3番を正式な国歌に定め、
現在のドイツ連邦共和国でも3番を国歌に定められています。
とはいっても1,2番を歌うこと自体は法律で禁止されていません。
日本と同様、この国歌は成立や歌詞の解釈を巡って様々な論争が今も続いており、
2006年のドイツ・ワールドカップの開催の際にも論議を醸しました。
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